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【老後】高齢者も寂しさ忘れる日本の木の葉ビジネス

2016-01-07 人民網日本語版 人民网日文版



正月が明け、徳島県上勝町では紅葉の販売が始まっていた。西蔭幸代さん(78)はタブレットパソコンに示された情報を基に、自宅の裏山で忙しそうに楓を採っていた。日本各地のレストランに紅葉を販売するビジネスをしているのだ。西蔭さんが暮らす徳島県上勝町は山間部に位置し、農業を発展させるには多くの制約があるため、住民たちは伝統的に木材やみかん販売など山に頼って生計を立ててきたが、近年この町は木の葉ビジネスで大きな転機を迎えている。

日本では都市化が急速に進んだ20世紀の6070年代、多くの若者が相次いで山里を離れ、大都市へと移り住んだ。上勝町も漏れなく人口減少と高齢化に直面した。当時日本では農産品の輸入も始まり、それまで木材とみかんの販売に頼ってきた上勝町は窮地に追い込まれ、日本政府や県庁が町を視察に来ても、「自然条件が悪く、人口が少なく、高齢化が著しい壊滅状態の村」と誰もが諦めていた。

そんな中、1979年に徳島県立農業大学校を卒業し、農業技術指導員として上勝町に派遣された横石知二さんだけは違った。横石さんはむしろ、山地面積の広大なこの町ならではの優位性があると信じて疑わなかった。

1981年、異常な大寒波がこの町を襲い、みかんの樹木が大量に枯れ、みかん栽培は壊滅的打撃を受けた。この時期、偶然大阪での出張中にレストランで出された料理に「つまもの」が添えられているのを見て、「上勝町には山一面の楓がある。これでビジネスができるはずだ」とひらめいた。

しかし、木の葉ビジネスはそう上手くはいかなかった。お客を探すことはもとより、町人の理解を得る必要があったが、横石さんがこのアイディアを伝えると、「馬鹿にしているのか?ゴミ(木の葉)を拾って売れというのか」と蹴飛ばされて追い返されたという。

多難の道のりではあったが、1986年、横石さんと農家4世帯が協力してようやくこのビジネスは動き始めた。横石さんらの弛まぬ努力が実り、注文はみるみるうちに増え、この動きに加わる農家も増えていった。30年近くの発展を経て、現在上勝町で木の葉ビジネスに従事する町人は約200人にのぼっている。平均年齢は70歳、最高齢は90歳を超えている。

上勝町では春から冬まで年間を通じて絶えることなく木の葉が採れ、種類にして約320種、年間の販売額は町全体で26千万円。注文にはインターネットを利用している。ホームページに木の葉の注文が入れば、横石さんと現地自治体が設立した会社に情報が提供される仕組みになっており、会社はさらにインターネットを通じて注文情報を農家に知らせ、農家はその情報に基づき木の葉を集め、集めた分だけそれに応じた報酬が得られる。中には年間1000万円以上稼ぐ農家もあるという。

「経済効果はたった2億円かもしれないが、社会的効果はその何倍も大きい」と横石さんは語る。上勝町の人口は約1700人で、65歳以上の高齢者が5割を占める。人口高齢化率が県内で最も高い自治体でもあり、医療費は大きな負担として圧し掛かっていた。しかし、今では「誰もが仕事をもち、税金を納めてくれるどころか病気にかかる時間さえなくなった」という。徳島大学医学部の調査によると、木の葉ビジネスを通じて仕事をしている高齢者らの健康状態には顕著な改善が見られ、暮らしへの満足度も絶えず高まっていると指摘する。

現在、日本全国のレストランで使用されるつまものの約8割が上勝町で採れたもの。それだけでなく、上勝町の新鮮な紅葉は今後海を越えてアメリカやフランス、イタリアといった国々にも輸出される計画だ。「和食が世界無形文化遺産に登録され、世界中で和食ブームが沸き起こり、私たちの市場も今後グローバルに広がっていく」と、57歳になる横石さんは木の葉産業の未来に大きな期待を抱く。

さらに横石さんは上勝町の新たな計画として、山の杉の木を段階的に楓の木に植え替え、紅葉を活かした観光客誘致に取り組み、さらには定住を促し、町の活性化につなげたいとしている。


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